2017-09

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さよならだけが人生なら、僕ら詩を書く必要はない


どうも、前々期の幹事長を務めておりました、しのいづかです。

このたびは卒業を迎えまして、詩人会の方も晴れて追われる身と相成りました。
これまで、幹事長としても一人の部員としても、至らぬところが多々ありサークルには随分迷惑をかけたことと思います。そんな中で倦まずに支えてくれた皆には本当に感謝しかありません。一人ではできるできない以前に、そもそもやろうともしなかったことが、皆とならできました。
自己満足と言われてしまえばそれまでなのでしょうが、それでも自分たちの力でひとつのものを作っていくのはとても楽しかった。無論辛いことや苦しいこともたくさんあり、反省や後悔は未だ尽きません。けれど、懐かしむにはまだ早い段にしても、今は充足した日々の感慨が強く残っています。

逆境にもめげず詩人会を盛り立て何よりも楽しむ姿を見せてくれた先輩方、僕の作品に対して厳しい批評の目を注いでくれまた愛してもくれた同期の友人たち、どちらが甘えているのか甘えられているのか分からない、頼ってばかりだった後輩諸氏、このご時世に詩をやりたいと願う繊細で大胆な精神の持ち主たち。本当に力強く愉快な人たちとやってこれたこと、この上ない幸運として生涯胸に刻みます。
詩人らしくもないありきたりな言葉ではありますが、「有難う」を言わせてください。

「さよならだけが人生だ」なんて言われなくてもわかっている。
だけどもし本当にそれだけだったなら、僕らがわざわざ詩を書く必要もない。
別れなんて実際曖昧なもので、死すら完全に分かつことは難しい、のではないか。
とはいえそこにある惜別の感情が嘘だと思わないし、二度と会うこともないのかもしれない。だけど、それでも。

過去はこちらを引きずり込むこともあるけど、時に寄る辺として近づいてもくる。
昨日と同じような明日を淡々と生きるなかで、喪われるものなど何もない、すべて噛み締めるだけだ。

別離の果てにまた運よくお会いすることができたなら、その時はゆっくりと積もる話でもいたしましょう。

最後になりますが、これまで文フリ等で詩人会を見つけてくれ、声を掛けていただいたり詩を読んでくれたりした多くの方々へ、改めて御礼申し上げます。今度ともどうか詩人会をよろしくお願い致します。

詩人会がこれからも、詩を求める人々のための避難場所であることを願って。


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寒さの季節も過ぎまして


再び、お久しぶりです。めといしです。
どうにもこの一年ですっかり筆不精の気がついてしまったようですが、詩人会はといえば相変わらずひっそりと、ですがこの春季休業期間中は結構活発に活動をしておりました。

と、いうのも、何となく思いつきで提案された、“文フリに備えて週に一回合評会を開く”という鬼企画を実行に移してしまったためでして。
二月の頭から三月の終わりに至るまで計六回もの合評会を開催することに無事成功、してしまいました。
まったり・マイペースがモットーの詩人会としては実に慌ただしい進行、毎週律儀に出席した会員たちはしにそうな思いをしたり、そもそも作品が仕上がらないという事態にも度々陥ったりもしたわけですが、それを逆手に取って未完成覚悟で様々な実験を試みるものもあり。
こうしてとことん「詩」に、あるいは「書くこと」自体に向き合う二ヶ月間を乗り切って振り返ってみれば、得るものは大きかった、というのは中心的に参加したメンバーの誰しもが頷くところでありました。

因みに、この間には新会員を迎えたり、長らくご無沙汰していた会員がひょっこり顔を出してくれたりといったこともあったり。

そんなこんなで今年度は、最低でも月に二回は会を開くことを目標としていきたい所存です。
因みに四月の合評会は4/11,25の二日間を予定。また後ほど正式に告知をするかと思いますが、新歓合評会も兼ねていますので、興味のある方は是非に。

そしてそうやって慌ただしく過ごしているうちに三月も終わりへと近づき、大学では卒業式が行われ、27に行われた三月最後の合評会は追いコンも兼ねることと相成りました。
当会の主だったメンバーからは、しのいづか氏が卒業を迎えられました。
前々幹事長として、詩人会という場に磁力のようなものを生みつづけてくださった氏に大きな感謝と祝福を送りつつ、今年度のブログを締めさせて頂きたいと思います。

さて、四月ですよ。



















半年分の変遷


前のブログから随分と日どころか月が経ってしまいました。
あけましておめでとうございます。晴れて幹事長となってしまいました、めといしです。

さて、前の記事から半年あまりの沈黙の間(正確にはツイッターだけは地味に稼動していたので全くの沈黙というわけでもないのですが)詩人会が何をしていたかといえば合評会、勉強会に学祭、そして文フリ……と、実は結構忙しくしていたりしました。
文フリでは早稲田詩人33も無事発刊いたしました。

が、とにもかくにも一番報告しなければいけないことは、この冬を持ちましてサークルの三役が交代したということでしょう。というわけで、新体制は以下の形になりました。

幹事長 安城秀久→めといし
副幹事  立城新→ツヾキユウ
会計 めといし→(実名のため伏せさせて頂きます)

……会計のところは別にそれがペンネームとかいうことではありませんよ!

少しずつ古参の方々が抜けられ、色合いも変わりつつある詩人会ですが、まったりとしつつもより充実した活動ができるよう拙いながら尽力していきたいと思います。

なお、ついでの告知となりますが、新年合評会を5日に開催する予定なので、興味のある方はご連絡ください。
開催場所がいつもと違うので、前日までにメールをくださればご案内いたします。

それでは、また本年度も詩人会をよろしくお願いいたします。

7月合評会+α

試験やらレポートやらでどたばたしているうちにこんな時期になってしまいました。
お久しぶりです、めといしです。
そんなこんなで随分間があいてしまいましたが、7月6日に行った合評会の報告です。

今回出た作品は、

「散髪」
「水没ノート(1)」
「青色1号」
「オフホワイトの君の指先に」
「亡霊を呼ぶ」
「朗読Ⅱ」

の六作品でした。
集まったメンバーこそ毎回お馴染み(?)の顔ぶればかりでしたが、このところ作品を出していなかった人たちの作品があったり、はたまた新規で出す人があったり、と内容のほうはなかなかに変化に富んだものとなりました。
前回の合評会では作風への安住、ということが問題にされましたが、今回の合評会では逆にその作風への安住……、それぞれの書き手にとってやりやすいやり方で、書くということが良い作品を生む上での一つの筋道でもある、というようなことを個人的には考えさせられました。
己の作風を確立させるということは果たしてその書き手にとって良いことなのか、悪いことなのか。
結局はその書き手自身にとって詩作が占める位置だとか、表現の仕方・表現するものの描き方にもよるものなのでしょうし、恐らく形式とは、その上で自身の詩作とどうぶつかっていったかの結果に過ぎない面もあるわけで、それこそ個人の戦いということになるのでしょうが。
一方で一定の形式を自分で確立させなければそもそも作品が作品としてまとまらない、というところに現代詩のジレンマがあるわけで。

それにしても、今回はどうにも夏のにおいのせいか、長引いた梅雨の水気のせいか。なにか、とうめいな、有機的なような何かがどの作品にも棲みついているような印象がありました。詩を書くという行為はどうにも季節や気候や、風景といったものの変化を受けやすいようで、しかしその変化の仕方というのも言葉にしようとすれば抽象的にならざるをえない・詩的な表現にならざるをえないようなものばかりで、それはもはや詩自体が人の手の届ききれないひとつの風景にも近いものだということの証左なのかもしれない……ということを思ってみたり。
語りえぬ領域、という言葉を気安く使うことには抵抗があるのですが、詩というものはやはりその語りえぬ領域を語る、一つの限界状況にあるものだと言うことだけはできそうです。


どうにもまだレポートテンションが続いているせいか、饒舌になっているような。
それでもまだ書くのか! といったところですが、もう少しお付き合いいただければ。

先日、というよりもつい昨日、文学学術院の何とかセンターの企画で大学に詩人の吉増剛造氏をお招きしての講演会がありました。センター名が思い出せないあたりあからしてお察しの通り、私自身がその企画については殆ど無知なので企画側がどのような意図の元で吉増氏をお呼びしたのかはよく分かっていないまま、ただ吉増氏が来る!という一点のみで飛び込んできたのですが、これまた充実した……というのを通りこして、色々と衝撃を食らってきてしまいました。
詩人会員も来るのかな……と思っていたら情報が意外と行き渡っていなかったらしく、結局私とあと一人のみしか参加しなかったのが残念というか、後悔でもあったり。

講演の細かい内容については省くにしても、吉増氏自身の語り口、身体それ自体がひとつの凝集点となって生まれるような、蠢くような独特の空間については思わず書かざるを得ないようなものが……そして、書けば消えてしまうようなとも思わせない何か、重みのようなものがありました。
先ほど私が語りえぬ領域、ということを書きましたが、これは氏が講演のなかで「声」というものを強調されていたことを受けているように思います。氏の作品を読まれた方は納得していただけるかと思いますが、目に見えないものたちの声、古の堆積の声、瓦礫の声。そういったものに手をのばすということ、死をかけて手をのばすということ。が、ひとつの詩の在り様であります。
そう在ることに果たして完全に同調して良いのか? ということは書き手にとって大問題です。
なにしろ「声」です。一歩間違えればただの怪しいオカルトです。
けれども、その声を実のところ常に私たちは聞いているのかもしれないし、詩を書くということはそれをより深く聞き、掴み取ろうとすることであるということは確かなことのように思われる。
一方で今ここにあるということにひたすらにひたすらに目を凝らす、ということも詩のひとつの形のように思われる
(ここで、あること自体見ること自体にもまた声がある、と言いうることはさておくとして)
あるいは結局、やっていることは同じでただ、それを語る一人ひとりの言語が違うだけでもあるのかもしれない。

当会として、詩なんてそんな大層なものじゃない、誰でもどうぞ気楽に入ってください……というのが新歓時の売り文句なのですが、こうなってくるとそれもなんだか怪しくなって、くる、ような……いやいやいや、そういう側面があることも踏まえてもっと詩自体が身近になってほしいのです。

他にも語ることはいくらでも出てきそうなのですが、いい加減記事も長くなってきたので今日はこれにて。
いよいよ蝉も鳴きだし夏も本番になってきましたが、どうか熱中症には皆さんもお気をつけて。

それでは!


めといし

6月合評会&勉強会 報告

こんにちは。ツヾキユウです。

今月は6月14日に合評会、22日に勉強会といった活動が行われました。

合評会では、「零」「ぱ・る・す」「ぐるん」「しろい洞窟」「時計塔」「球上のダンス」が発表されました。
作品の内容としては、兼ねてから合評会に詩を提出している会員が自身の作風に忠実で、安定したものを提出したことに対し、この度初めて詩を提出した会員は今までの会員とは違う風合いのものを提出し好対照でした。
これからの課題として、より一層のブレイクスルーを模索していきたいと私は感じます。

変わって、今回が二度目となる勉強会では、様々なトラブルに見舞われ(いつもの拠点である学生会館が閉館日だったとは)、場所を移しての開催となりました。
テーマは「谷川俊太郎」。私が詩を書くなんてつゆとも思っていなかった頃から学校や新聞などの媒体で名前は知っていた、有名な詩人でした。
今回の勉強会ではその有名性についての論から、彼の作品を時系列順に、初期、実験期、現在と区分けして鑑賞し、朗読したりしながら彼について学びました。
私個人は議論のスピードに中々ついていけず(インプットは問題ないのですが、当意即妙なアウトプットが苦手なんです)けっこう黙ってしまっていたけれど、非常に興味深かったです。

この月は他の月に比べ自己の課題を多く見つけられたような気がします。
それでは。乱文失礼しました。

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