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2020-08

寒さの季節も過ぎまして


再び、お久しぶりです。めといしです。
どうにもこの一年ですっかり筆不精の気がついてしまったようですが、詩人会はといえば相変わらずひっそりと、ですがこの春季休業期間中は結構活発に活動をしておりました。

と、いうのも、何となく思いつきで提案された、“文フリに備えて週に一回合評会を開く”という鬼企画を実行に移してしまったためでして。
二月の頭から三月の終わりに至るまで計六回もの合評会を開催することに無事成功、してしまいました。
まったり・マイペースがモットーの詩人会としては実に慌ただしい進行、毎週律儀に出席した会員たちはしにそうな思いをしたり、そもそも作品が仕上がらないという事態にも度々陥ったりもしたわけですが、それを逆手に取って未完成覚悟で様々な実験を試みるものもあり。
こうしてとことん「詩」に、あるいは「書くこと」自体に向き合う二ヶ月間を乗り切って振り返ってみれば、得るものは大きかった、というのは中心的に参加したメンバーの誰しもが頷くところでありました。

因みに、この間には新会員を迎えたり、長らくご無沙汰していた会員がひょっこり顔を出してくれたりといったこともあったり。

そんなこんなで今年度は、最低でも月に二回は会を開くことを目標としていきたい所存です。
因みに四月の合評会は4/11,25の二日間を予定。また後ほど正式に告知をするかと思いますが、新歓合評会も兼ねていますので、興味のある方は是非に。

そしてそうやって慌ただしく過ごしているうちに三月も終わりへと近づき、大学では卒業式が行われ、27に行われた三月最後の合評会は追いコンも兼ねることと相成りました。
当会の主だったメンバーからは、しのいづか氏が卒業を迎えられました。
前々幹事長として、詩人会という場に磁力のようなものを生みつづけてくださった氏に大きな感謝と祝福を送りつつ、今年度のブログを締めさせて頂きたいと思います。

さて、四月ですよ。



















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半年分の変遷


前のブログから随分と日どころか月が経ってしまいました。
あけましておめでとうございます。晴れて幹事長となってしまいました、めといしです。

さて、前の記事から半年あまりの沈黙の間(正確にはツイッターだけは地味に稼動していたので全くの沈黙というわけでもないのですが)詩人会が何をしていたかといえば合評会、勉強会に学祭、そして文フリ……と、実は結構忙しくしていたりしました。
文フリでは早稲田詩人33も無事発刊いたしました。

が、とにもかくにも一番報告しなければいけないことは、この冬を持ちましてサークルの三役が交代したということでしょう。というわけで、新体制は以下の形になりました。

幹事長 安城秀久→めといし
副幹事  立城新→ツヾキユウ
会計 めといし→(実名のため伏せさせて頂きます)

……会計のところは別にそれがペンネームとかいうことではありませんよ!

少しずつ古参の方々が抜けられ、色合いも変わりつつある詩人会ですが、まったりとしつつもより充実した活動ができるよう拙いながら尽力していきたいと思います。

なお、ついでの告知となりますが、新年合評会を5日に開催する予定なので、興味のある方はご連絡ください。
開催場所がいつもと違うので、前日までにメールをくださればご案内いたします。

それでは、また本年度も詩人会をよろしくお願いいたします。

7月合評会+α

試験やらレポートやらでどたばたしているうちにこんな時期になってしまいました。
お久しぶりです、めといしです。
そんなこんなで随分間があいてしまいましたが、7月6日に行った合評会の報告です。

今回出た作品は、

「散髪」
「水没ノート(1)」
「青色1号」
「オフホワイトの君の指先に」
「亡霊を呼ぶ」
「朗読Ⅱ」

の六作品でした。
集まったメンバーこそ毎回お馴染み(?)の顔ぶればかりでしたが、このところ作品を出していなかった人たちの作品があったり、はたまた新規で出す人があったり、と内容のほうはなかなかに変化に富んだものとなりました。
前回の合評会では作風への安住、ということが問題にされましたが、今回の合評会では逆にその作風への安住……、それぞれの書き手にとってやりやすいやり方で、書くということが良い作品を生む上での一つの筋道でもある、というようなことを個人的には考えさせられました。
己の作風を確立させるということは果たしてその書き手にとって良いことなのか、悪いことなのか。
結局はその書き手自身にとって詩作が占める位置だとか、表現の仕方・表現するものの描き方にもよるものなのでしょうし、恐らく形式とは、その上で自身の詩作とどうぶつかっていったかの結果に過ぎない面もあるわけで、それこそ個人の戦いということになるのでしょうが。
一方で一定の形式を自分で確立させなければそもそも作品が作品としてまとまらない、というところに現代詩のジレンマがあるわけで。

それにしても、今回はどうにも夏のにおいのせいか、長引いた梅雨の水気のせいか。なにか、とうめいな、有機的なような何かがどの作品にも棲みついているような印象がありました。詩を書くという行為はどうにも季節や気候や、風景といったものの変化を受けやすいようで、しかしその変化の仕方というのも言葉にしようとすれば抽象的にならざるをえない・詩的な表現にならざるをえないようなものばかりで、それはもはや詩自体が人の手の届ききれないひとつの風景にも近いものだということの証左なのかもしれない……ということを思ってみたり。
語りえぬ領域、という言葉を気安く使うことには抵抗があるのですが、詩というものはやはりその語りえぬ領域を語る、一つの限界状況にあるものだと言うことだけはできそうです。


どうにもまだレポートテンションが続いているせいか、饒舌になっているような。
それでもまだ書くのか! といったところですが、もう少しお付き合いいただければ。

先日、というよりもつい昨日、文学学術院の何とかセンターの企画で大学に詩人の吉増剛造氏をお招きしての講演会がありました。センター名が思い出せないあたりあからしてお察しの通り、私自身がその企画については殆ど無知なので企画側がどのような意図の元で吉増氏をお呼びしたのかはよく分かっていないまま、ただ吉増氏が来る!という一点のみで飛び込んできたのですが、これまた充実した……というのを通りこして、色々と衝撃を食らってきてしまいました。
詩人会員も来るのかな……と思っていたら情報が意外と行き渡っていなかったらしく、結局私とあと一人のみしか参加しなかったのが残念というか、後悔でもあったり。

講演の細かい内容については省くにしても、吉増氏自身の語り口、身体それ自体がひとつの凝集点となって生まれるような、蠢くような独特の空間については思わず書かざるを得ないようなものが……そして、書けば消えてしまうようなとも思わせない何か、重みのようなものがありました。
先ほど私が語りえぬ領域、ということを書きましたが、これは氏が講演のなかで「声」というものを強調されていたことを受けているように思います。氏の作品を読まれた方は納得していただけるかと思いますが、目に見えないものたちの声、古の堆積の声、瓦礫の声。そういったものに手をのばすということ、死をかけて手をのばすということ。が、ひとつの詩の在り様であります。
そう在ることに果たして完全に同調して良いのか? ということは書き手にとって大問題です。
なにしろ「声」です。一歩間違えればただの怪しいオカルトです。
けれども、その声を実のところ常に私たちは聞いているのかもしれないし、詩を書くということはそれをより深く聞き、掴み取ろうとすることであるということは確かなことのように思われる。
一方で今ここにあるということにひたすらにひたすらに目を凝らす、ということも詩のひとつの形のように思われる
(ここで、あること自体見ること自体にもまた声がある、と言いうることはさておくとして)
あるいは結局、やっていることは同じでただ、それを語る一人ひとりの言語が違うだけでもあるのかもしれない。

当会として、詩なんてそんな大層なものじゃない、誰でもどうぞ気楽に入ってください……というのが新歓時の売り文句なのですが、こうなってくるとそれもなんだか怪しくなって、くる、ような……いやいやいや、そういう側面があることも踏まえてもっと詩自体が身近になってほしいのです。

他にも語ることはいくらでも出てきそうなのですが、いい加減記事も長くなってきたので今日はこれにて。
いよいよ蝉も鳴きだし夏も本番になってきましたが、どうか熱中症には皆さんもお気をつけて。

それでは!


めといし

合評会と勉強会(5月)


文フリの報告に引き続きまして、実は5/17に行われていました合評会の報告に参りました。
どうも、ブログではお久しぶりのような気がするめといしです。いやはやもう五月も下旬とは……
文フリのほうでは詩人会の隣でひっそりのんびりとブースを開いておりましたが、思っていたよりも多くの方に立ち寄っていただけて嬉しく思っております次第です。
こちらでも改めて、感謝の言葉をば。

さてはて5/17の合評会は文フリの直後ということでばたばたとしていましたが作品もそれなりに集まり、新しく参加する人もあり、充実した合評会が開けたのではないかと思います。

集まった作品は以下のとおり。

『三月』
『おとぎ語り』
『ドロドロ』
『(驟雨がとおりすぎていったので……)』
『ボタンひろい』
『二十歳』

毎回恒例の投票の結果一番票が集まったのは「おとぎ語り」でしたが書いた本人としては未だに納得しきれてなかったり。というのも、『驟雨が……』のほうも私が出した作品だったのですが、こちらは数時間も製作にかけた割りに完成しきれず得票も零だったのに対して、『おとぎ語り』のほうは割と思いつきと勢い、そして言葉の色彩に任せて適当に仕上げただけだったのに思いのほか票を得てしまった……ということがありまして。うーん、相対票的なところもあったりするのか……
改めて、というかもう何度となくぶつかってますが、はたまた詩ってなんなんだろう?という疑問に正面衝突してしまった感のあるめといしです。

二番目に得票数の多かった「ドロドロ」はツヾキユウ君の作品でしたが、彼の作品は詩の核たる意図と、それに対する言葉との絡み合いが独特の味を出してきていてここ二回の合評会ではなかなか評判が良いです。次はどんな作品を持ってきてくれるのやら。
今回初参加の方が持ってきてくれた「二十歳」は未完成作品ということでしたが、また新しい言葉のおと、質感を持っていて、票こそ入らなかったものの多くの会員に響いていたように思います。


そしてタイトルにも書きましたが今日、5/25には初の試みである勉強会を開催いたしました。
これは新歓コンパの際に私が「勉強会的なものをやりたい!」と言ったところ結構賛同してくれるひとが多かったので正規の活動、というよりは詩人会内の有志による活動(といっても元がこぢんまりとした会なので、結局そんなに変わらない顔ぶれになるのですが……)という形で、そして言いだしっぺの私が主催で開くことに相成りました。

初回のテーマはズバリ「中原中也」 
選考理由は私が好きだから、その一言につきます。正直何の捻りもないテーマで申し訳なくは思ってはいる……
残念ながら体調不良で出られない人もあり、総勢三人の超ミニマム会となってしまいましたがOGの日下さんも来て下さり初回ということで手探り状態ではありましたがかなり活発な話し合いができたのではないでしょうか、と主催個人としては手ごたえを感じています。
読み、聞いたものを自らの言葉、誰かに伝える言葉であらわそうとする。そのプロセスを通すだけでも随分と見方が変わることに語っている本人まで驚かされ、詩が容貌を変え。しかし中也は奥が深いというべきか、なんともとらえがたい……とても一回の勉強会ではいかんともしがたいけれども、このまま追いかけていけばいったで果てがなさそうな。

今回は日ごろの合評会や朗読会の延長のような形式で行いましたが、今後も様々な人が、様々に工夫をしていき、有意義な時間にできればなあと思います。

はて、疲れているせいかどうにもだらだらと書いてしまいましたが今日はこのあたりにて。
それではまたいずれ。


めといし




文学フリマに行ってきました

こんにちは。安城です。
なんだかすっかり遅くなってしまったのですが、先日の告知の通り
第十八回文学フリマに参加してきましたよー。
ブースに来てくださった方、どうもありがとうございました。おかげさまでフリーペーパーも完売でしたよ。
しかしですね、実は今回はこちらの発送の不手際で、新刊冊子の到着が遅れてしまいまして・・・。
楽しみにしていてくださった方は本当に申し訳ありません。
次回の文フリにはまた新たな新刊冊子とともに持っていきますので・・・。ご期待ください。
ではでは。

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